2025.9.8修正
2024.7.13修正
2024.5.23公開
(前回のあらすじ)復活を遂げたロータスは、第21回定期演奏会で壮大な企画ステージを計画しJESUS CHRIST SUPER STARのステージを成功させた。

悪夢転じて名演奏
22期(1982年度)がスタートした。この年は、3つの合同演奏会が計画されていた。最初の演奏会は、第21回定期演奏会(1982.1.16)を終えた後、わずか2か月後の3月20日に日本男声合唱団の雄である関西学院グリークラブを岡山に迎えての合同演奏会であった。
関西学院グリークラブとの合同演奏会(1982.3.20) (岡山市民文化ホール)
3月に卒業予定の先輩も加えての”豪華キャスト”の迎撃体制で臨んだのである。ロータス単独ステージは、男声合唱組曲「雪明かりの路」。この曲は、関西学院グリークラブによって1960年に初演された名曲である。いわば関学グリーの持ち歌を、合同演奏会でロータスが単独演奏したのだ。
歌詩どおり「ふんわり」と曲は始まったが、2曲目「梅ちゃん」で、悪夢を見る。 Top TenorのMが、半拍フライングしてしまった。
「ば!婆さんは死に 爺さんひとり居る藁屋でー!」
しかし、21期指揮者狩野は動じず、団員は何かに取り憑かれ、青白い炎に包まれたように燃えはじめた。ロータス演奏史上屈指の鬼気迫る名演奏が生まれた瞬間であった。
作陽音楽大学テール・ヴォーチェスとの合同練習(合同演奏会 1982.7.4 岡山市民文化ホール)
神戸大学グリークラブとの合同演奏会(1982.7.17) (神戸文化ホール)
※1982年 ホテルニュージャパン火災、日本航空350便墜落事故、岡山市外局番0862化
悪夢再び
この頃のロータスは、団員60人前後(院生含む)で推移し、ステージには50人前後が立ち、7月に他団とのジョイントコンサート、1月に定期演奏会を開催することが常となっていた。
甲南大学グリークラブとの合同演奏会(1983.7.16) 客演指揮 草下 實 (岡山市民文化ホール)
1983年(23期)夏、甲南大学グリークラブ(男声合唱団:2021度から混声)を岡山に迎えてジョイントコンサートを開催した。しかし、ロータス単独ステージの男声合唱組曲「富士山」が、目を覆うばかりの大惨事となる。最終曲が完全に空中分解し、悲惨な演奏となった。真夏にもかかわらず観客席が凍り付いた。観客は驚きの様子で、拍手をすることを忘れてしまうような状況だった。客席のノートルダム清心女子大学グリークラブの指揮者は手で顔を覆ったとか…
その日のレセプション会場で、23期指揮者橋本はトイレから1時間出てこなかった。
秋を迎え、半年後の第23回定期演奏会でリベンジを果たすべく練習を続けるが、「ハモらない」のである。練習中から音程が定まらず、常にピッチが下がってしまう症状に悩まされた。
※1983年 大韓航空機撃墜事件、東京ディズニーランド開演
第23回定期演奏会(1984.1.21) 岡山市民文化ホール
そして迎えた定期演奏会、エールは奇跡的によくハモった。そのまま第1ステージの大曲「富士山」に突入したが、夏のトラウマからか、ハラハラドキドキ、スリル満点で何とか歌い切った。ステージに立っていたメンバーは、もう二度と「富士山」は歌わないと心に誓った。
※1984年 ロサンゼルスオリンピック、マザーテレサ来岡
第24回定期演奏会(1985.1.19) 岡山市民会館
1984年度(24期)に指揮者となった寺田は、悪夢を払拭すべく、ハーモニーを重視した演奏を志した。
第24回定期演奏会(1985.1.19)では、第1ステージに多田武彦の「雨」、第4ステージに清水脩の「智恵子抄巻末のうた六首」「或る夜のこころ-智恵子抄より-」を演奏した。
ロータスは、過去に「雨」を演奏しているが、第4曲目の「十一月にふる雨」が、歌詞に不適切な表現があるとして、1982年に「雨 雨」という作品に差し替えされており、ロータスにとって改訂後の初演奏となった。また、「智恵子抄巻末のうた六首」と「或る夜のこころ-智恵子抄より-」は第18回定期演奏会(1979.1.20)で近藤安个先生の指揮で演奏した曲の再演となるものであったが、練習の甲斐ありハーモニーは完璧で倍音も聴こえる納得のいく演奏会となった。かつての迫力のある男声合唱というより、洗練されたきれいな男声合唱になったと寺田は振り返る。
しかし、団勢が緩やかに下降線をたどっていることは否めなかった。部員も徐々に減り始め40人ほどの合唱団になっていく。ロータスは、毎回練習に参加することが難しい大学院生も在籍しているため、30人を下回る練習もたびたびであった。
※1985年 日本航空123便墜落事故、任天堂スーパーマリオブラザーズ発売
第9回「平成」に続く






