ロータス物語 第9回「平成」

ロータス物語

(前回のあらすじ)日本男声合唱団の雄である関西学院グリークラブを岡山に迎えての合同演奏会でロータスは悪夢を見るも名演奏に転じた。その後も神戸大学グリークラブ、甲南大学グリークラブとの関西3連戦の合同演奏会を戦い抜く。しかし、団勢が緩やかに下降線をたどっていることは否めなかった。

ロータス物語 第8回「悪夢」
2025.9.8修正2024.7.13修正2024.5.23公開(前回のあらすじ)復活を遂げたロータスは、第21回定期演奏会で壮大な企画ステージを計画しJESUS CHRIST SUPER STARのステージを成功させた。悪夢転じて名演奏2...

昭和63年

振り返れば激動の時代だった。世の中の変化は激しく、岡山にも瀬戸大橋が架かり、後にバブル景気と呼ばれる浮かれた空気が漂っていた。

しかし、昭和の末期にかけてロータスは徐々に人数を減らしていた。

23期 12人
24期 13人
25期 9人
26期 7人
27期 11人
28期 9人
29期 8人

1988年(昭和63年、28期)、コアメンバーである3年生(28期)と2年生(29期)を合わせて17人、4年生以上(大学院生含む)の15人を合わせて32人となるが、コアメンバーの人数は、そのままロータスの運営に波及する。

しかし、この年から新入部員が急増する。なんと、19人の新入部員を迎えるのである。毎年、苦労しつづけた新歓活動がようやく実を結んだのだ。しかし、コアメンバーより多い新入生がいる合唱団の苦労はいかばかりだったであろうか。

1988年(昭和63年、28期)春、のちの30期バリトンパートリーダー山本、ベースパートリーダー山内、早瀬たちが入学した。早瀬は、ロータスの新歓を堪能した挙げ句、ロータスを辞めて陸上部に入ろうとしていた。単に辞めては心苦しいので、同じ授業を受けている山内と一緒に山本を引き入れてから辞める作戦を計画した。

※早瀬は、のちに陸上部と兼部したままロータス復帰。

ロータスは、男だけのサークルで、近隣女子大との合コンに引っ張りだこだとか。明るい大学生活を夢見る山本に、男だけのサークルという選択肢はないのだが、引っ張りだこか…、と考えつつBOX(部室)に連れて行かれた。音楽は好きなほうだし、合コンを念頭にではなく、学籍番号が隣の山内の顔もあったこともあり、ちょっとやってみることにした。

しかし、先輩方のおごりによる贅沢体験や憧れの女子大との合コン強化月間はすでに終わっていた。

広島大学グリークラブ、横浜国立大学グリークラブとの交歓演奏会(1988.7.12) 客演指揮 浅井 拡 (広島郵便貯金会館ホール)

1988年(28期)夏に、広島大学グリークラブ、横浜国立大学グリークラブと広島にてジョイントコンサートを開催した。1年生にとって自団以外の男声合唱団との接触は初めてであり、最初は緊張したが、とても楽しいジョイントだった。ホストの広大部員のアパートで広大生、横国大生、岡大生の3人で雑魚寝する分宿が特に印象的だった。大いに語った彼ら、今頃どこでどうしているのだろうか。

秋になり、浮かれ気味の社会に、変化が訪れた。天皇陛下が吐血されたとの報道。世の中が自粛ムードに向かい始めた。時がたつにつれ、そのムードは少しずつ強まっていった。

※1988年 ソウルオリンピック、東京ドーム開場、青函トンネル開業、瀬戸大橋開通、岡山空港開港

昭和64年

昭和64年(1989年)を迎えた。正月とはいえ自粛ムードは強かった。1月7日、朝からテレビの様子が違う。黒ネクタイ…、昭和の終わりを知った。当日は土曜日、午後からロータスの新年初練習。常任指揮者上月のあいさつは、「あけまして・・・ここまでにしときましょう」だった。ロータスの昭和最後の練習はこの言葉から始まった。

第28回定期演奏会(1989.1.21) (岡山市民会館)

平成元年

ロータスは、大学の公認クラブとはいえ、男だけの音楽サークルという特異な体制であるため、新歓活動は事実上マイナスからスタートする。そんなロータスだからこそ、手段を選ばず新歓活動を行っていた。

入学手続

当時は、ほとんどの受験生が一般入試を受験し、3月初旬に合格発表を迎えるが、県外の新入生にとって下宿先を決めることが最初の課題であることは今も昔も変わらない。入学手続に来た新入生は、共済会(当時は、生協が設立されておらず、共済会という組織が下宿を斡旋していた)で下宿のビラを見てから下見に行く。その共済会の前に、ボランティアで下宿まで道案内してくれるというお兄さんたちが机を並べていた。なんて素晴らしい志をもった学生なんだろうか。

平成元年(1989年、29期)3月、後に31期部長になる山下は、受付ノートに「名前、学部学科、下見する下宿住所、出身県、高校の部活動」を記入した。ピュアな高校生は記載する項目に疑念を抱かない。先輩たちは、下宿先を知り尽くしており、効率的に複数の下宿を廻ることができる。下見中も、共同電話から遠い部屋がいい(アパートの玄関先に共同電話が置かれていることが多く、玄関近くの部屋は電話を取り次ぐことが多い)とか、飯屋が近いとか、ここはうるさい住人がいるだとか、重要なアドバイスがもたらされる。無事、下宿先を決め春の生活に胸を膨らませながら山下は家路についた。

ロータスは、入学式前から新歓活動を始める。目星を付けた新入生の下宿先を確認し、信頼を勝ち取ることが重要。新入生の親の印象も良くしておくことも重要。男だけを案内するのは怪しいので、暇なら女子学生も案内する。

入学式前

新入生は、入学式の数日前に岡山に入る。誰も知り合いがいない街で人生初の一人暮らしが始まる。その夜、下宿のドアがノックされた。優しい先輩(29期指揮者江本、パートリーダー金子)が、同じ学科の先輩30期渉外マネージャー田村を連れて、お菓子とジュースを持って遊びに来た。嬉しかった。翌日の夜も飯に連れて行ってくれた。飯を奢られた新入生は、先輩への信頼を厚くする。

初めて一人暮らしする新入生に最初に優しく接する効果は絶大

入学後

平成元年(1989年、29期)の入学式は、岡山大学グリークラブ(混声)が学歌を歌ったが、まったく記憶に残っていない(1年交代でロータスと岡グリが学歌を歌っていた)。その夜も先輩(29期江本)がやってきて、飯を奢ってくれた。優しい先輩であるが、驚くべき話を聞かされた。なんと、その正体は「男声合唱団」だった。サッカーを9年間続け、高校で音楽を選択しなかった私とはこれまでも今後も無縁の世界だ。

合唱と言った途端に露骨に嫌な顔をした。こいつは入らないと思った。(29期指揮者江本)

男声合唱団の正体を明かすタイミングはとても難しい。相手を見定めるほかない。

新歓花見

最初の週末がやってきた。またもや、先輩が下宿にやってきて花見のお誘いだった。もちろん奢り。合唱とは関係なく、ボランティアで下宿案内した新入生を一同に集めて花見をするので、同じ出身県や学科の新入生もたくさん来るとのこと。「クラブに入れ」という勧誘はしないという話なので、行ってみることにした。半田山植物園に連れて行かれるとそこかしこに楽しそうな輪があったが、広場の中央に陣取る男だけ100人超の巨大な輪は、異様だった。

同じ学科の友達とも知り合えたし、遠い存在だった大学院生(27期チーフマネージャー柴尾)の話も聞けた。しかし、先輩たちを見ていると真面目そうな人、チャラチャラしている人、運動部出身の人、変な人など多種多様だった。山下には、この集団が真面目に合唱しているとは信じられなかった。

29期部長の稲垣が先頭を切って、大声で自己紹介をして新入生に見本を見せた。次に新入生が自己紹介する。名前、学部、学科、出身県と一言を言うだけだが、同じ学部・学科・出身県の先輩が大きな声で拍手し喜んでくれる。岡山に来て初めて楽しいと感じた。ある新入生(31期大谷)は、「入部します!」といきなり宣言した。先輩たちは拍手喝采。この流れに乗って、その後数人が入部宣言した。山下は入る気がないので、もちろんそんなことは言わなかった。

新入生の自己紹介が一巡すると、指揮者が割り箸を振り、先輩たちはその場に立って歌い出した。部屋に来た金子がソロをする斎太郎節が印象に残った。人生初めて男声合唱を聴いたが、素直にかっこいいと思った。

広場だから仕方がないにしても、全然声が出ないし響かない。ソロも含めてひどい合唱だ。でも、新入生はキラキラ目を輝かせて感動している。こんなレベルで感動するのか!?

練習

翌週、再び江本がやってきた。とうとう練習のお誘いだ。

「行かないです」
「練習後に飯を奢るで。どうせ暇やし、どうせ飯食うやろ」
「行ったとしても、絶対に入りませんよ」
「入らなくてもいいから、奢るからおいで」

ということで、飯に釣られてノコノコと練習に行った。BOX(部室)に入ると、凄まじい人数がいたが、江本は、パート練習室(3畳程度の防音室)に山下を連れて入った。ピアノの前に30期指揮者和田(副指揮者)が座っていた。

江本「ピアノに合わせて声出してみて」
山下「だから、入りませんって」
江本「全員いっぺんに飯屋に入れないから、パートに分かれて飯を食べに行く必要がある。だから声出して」

よく分からない理屈だが、飯をおごると言われると、声を出すしかない。

ベースに決まった。パート練習室を出ると、ベースに大歓迎される。「『ベース』が一番かっこいいパートだ。」(29期チーフマネージャー吉田、30期渉外マネージャー澤田、ステージマネージャー堀田)と言って盛り上がっている変な人達がいた。

練習が始まった。発声練習ののち、愛唱曲をパート練習して、その後合わせ練習をした。大きな声で歌うのは、なかなか気持ちがいい。練習は1時間も掛かることなく終わり、パートごとに飯を食べに行く。もちろん奢りだ。夕食を食べたあとは、先輩の部屋で遊ぶ。

新入生がたくさん入ると、すさまじい声になる。毎年のことながら、祭りの叫び声と変わらない。夏のジョイントコンサートまでに形になるのだろうか?

BOXコンパ

土曜日の練習後(土曜日も授業があった。1991年(平成3年)から週休2日に移行)にノートルダム清心女子大学の寮生(2年生以上)をBOXに呼んで合コンが行われる。当然、奢りだが、この合コンに出るためには、練習に参加しなければならない。やはり、この日もルーチンのように下宿まで先輩が迎えに来て練習に連れて行かれる。

練習を終えて、BOXコンパが始まった。両隣のお姉さん(その正体は、清心グリー)は、「ロータスに入ったほうがいいよ」と言う。コンパ終盤に当日練習した曲を歌う。お姉さんが褒めてくれる。褒められると悪い気はしない。

その後に、先輩だけで「U Boj」を歌った。本気でかっこいい。拍手の量も全然違う。お姉さんの目もキラキラしているように見えた。

ロータスが女子大生と無縁でないことと男声合唱が格好いいことを早めに理解させておく必要がある。

翌週の練習

練習に行けば飯は奢ってもらえるし、新入生同士のつながりもでき、山下は一人で練習に行くようになっていた。だが、そろそろ入部するか否か決断のときが迫っていた。次の土曜日は、新歓コンパが予定されている。さすがに新歓コンパは入部する新入生しか参加できない。

練習ごとに、飯をおごってもらっている引け目、先輩たちと顔なじみになっていること、新入生同士で友達ができたこと、思っていた以上に歌うことが気持ちいいことは分かったが、ほんとに俺は合唱団に入るのか?友達や親になんて説明するんだ?人生それでいいのか?と葛藤した。

葛藤を抱えながらも練習に参加し、飯を奢ってもらい、飯のあとは、先輩の部屋で遊んでもらい・・・で、気づけばまた週末がやってきた。もうロータスに入るしか道はなかった・・・

この時期までずるずる練習に参加する新入生は、ほぼ入部確定。ロータスに来たら会える同級生や面白い先輩の存在は重要。

新歓コンパ

1990年(平成2年、30期)新歓コンパ(第30回記念定期演奏会パンフレットから)

別名「新歓24時間耐久コンパ」と呼ばれていた。もちろん、新入生は全部おごりだ。

土曜日の練習後に開かれる。1次会の途中で新入生の自己紹介が始まる。必ず先輩が拍手喝采してくれる。その後、29期部長稲垣が「芸というのは、そんなんじゃねえ!」と合唱団ならではのハモリが駆使された「七不思議(第22回定演のパンフレットによると神戸大学グリークラブとの合同演奏会(1982.7.17)で輸入したものらしい、歴代部長の持ち芸になっていた)」を皮切りに、その後も次々と伝統芸が披露された。驚嘆の連続だ。芸が尽きない、終わらない。10年生である大先輩22期渡辺(博士課程+留学)の第九の芸には、感動すら覚えた。そして、最後に歌って締める。

2次会は、パートに分かれてごちそう※1だ。トップは寿司※2、セカンドはステーキ、バリトンはしゃぶしゃぶ※3、ベースは焼き肉※4だ。一人暮らしを始めた新入生はここで久しぶりに贅沢を味わえるのだ。これも感動の一つ。

※1 すべてのお店は、食べ放題ではない。当時は、食べ放題のお店は少なかった。
※2 新入生は、最初に「失恋巻き(ワサビだけたっぷりの巻きずし)」を一本食べなければならない。トップ新入生の試練。
※3 当時、しゃぶしゃぶは高級な店しかなかった。
※4 一番安そうに見えるが、ベースは食欲が旺盛なので、先輩の財力は焼き肉が限界である。

3次会もパートに分かれたままカラオケに行く。1989年(29期)はスナックに連れて行かれて歌ったが、翌年からカラオケボックスに変わった。カラオケボックスが普及していく時代だった。

先輩(特にパートリーダー)は、新入生の声質・音域などをしっかり聴いている。

当時の岡山は、夜が更けると4次会に行く店がなくなり、すべてのパートがオールナイトの映画館に集まるしかなかった。(以下、省略)

日が替わり5次会は、ファミリーレストランでパフェを食べる。徹夜に慣れていない新入生に脱落者が出てくるころである。

日が昇ると6次会は、早朝サービスのボーリングだ。このころになるとハイになっている。小腹がすいたところで、7次会で朝マックを食べる。通常は、この7次会で終了する。先輩の財力も新入生の体力も尽きるころだ。あえて24時間耐久するために、このあとも新入生抜きで麻雀に勤しむロータスメンもいた。

ここまで、新入生はすべて奢りである。こうして、新たなロータスメンが誕生するのだ。

その後

新歓コンパの翌週は新歓合宿があり、そこで初めて難しい曲(夏のジョイントコンサートの演奏曲)に出会う。5月に入ると練習は3時間になり、6月には週3日の練習が週4日になった。練習は楽だと騙されていたことを改めて知る。

しかし、その後も学祭、春と秋の合コン強化月間、ソフトボール大会、麻雀大会、ファミスタ大会(ファミコンの野球ゲーム)など新入生はもちろん上級生も楽しむイベントが盛り沢山だった。

こうして、ロータスは、平成元年(1989年)に新入部員17人を新たに迎え入れた。

Joint Conceet ~さんさしおん~ ノートルダム清心女子大学グリークラブとの合同演奏会(1989.7.8) 岡山市民会館

 

合宿や練習は大変だったが、ステージでは充実感を得た。1年生の定期演奏会を終えたときは、4年分の経験ができたと感じた。

第29回定期演奏会(1990.1.20) 岡山市民文化ホール

この年、1,2年生の比率が圧倒的に高かった。当時の4年生以上は、練習にあまり出ることがなかったこともあり役員は大変な年だったと思う。

4年以上 13人
3年生(29期) 8人
2年生(30期) 16人
1年生(31期) 17人

第28回定期演奏会と第29回定期演奏会は、下級生の比率が特に高いため演奏の完成度は決して高いものでなかったかもしれない。しかし、このとき積み上げた基礎の上に、その後のロータスが立ち上がっていくことになる。

 

※1989年 昭和天皇崩御、「平成」始まる、消費税施行(税率3%)、ベルリンの壁崩壊、天安門事件、アメリカ・ソ連が冷戦の終結を宣言(マルタ会談)

 

第10回「30周年」に続く

ロータス物語 第10回「30周年」
(前回のあらすじ)平成の幕が明けた。昭和末期に向けて団勢が緩やかに下降線をたどっていくロータスであったが、あらゆる手段を使った新歓活動が昭和63年から実を結び始めて新入生が増えていく。1,2年生の比率が圧倒的に高く若い合唱団であったが、団員...
ロータス物語 ~ロータス60年+αのあゆみ~
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