ロータス物語 第1回「誕生」

ロータス物語

コール・ロータスの誕生

1961.4.17 コール・ロータス結成

ゴール・ロータスは、いわば岡山大学グリークラブ(注:混声合唱団)から派生して誕生した。岡山大学グリークラブの第5代指揮者は、高杉 潔(後のコール・ロータス初代部長)、第7代指揮者は、武内成禮(後のコール・ロータス初代指揮者)が務めている。

当時、医学部学生は、入学当初の2年間を教養課程履修のため津島地区に在籍し、次いで専門課程に入るため鹿田地区へ移るため、「グリークラブは2年間で卒部」となっていた。

医学部の3年生以上の有志は、医学部キャンパスで昼休みなどに細々とダブルカルテット並の人数で歌う機会を作っていたのだが、「岡山大学「医学部」男声合唱団コール・ロータスが正式に発足したのは、武内成禮がグリークラブを卒業した1961年(昭和36年、第1期)のことである。発足するにあたって、藤沢義人が合唱団の名称を「ロータス(蓮の花)はどうだろう?」と提言し、これが採択された。

最初の練習を行った1961年4月17日をコール・ロータスの結成日としている。

医学部だけで男声合唱を続けるには、団員が不足がちとなるが、津島にいた進学課程1年の医学部生を10名勧誘してなんとか合唱団としての体裁を整えた。大学病院付属看護学校の講義室を借りて練習所とし、早速その冬に第一回の定期演奏会を目論んだのだから、その頃の熱気は相当なものだった。

1962.1.24 第1回定期演奏会(葦川会館)

第1回定期演奏会は当時700名収容可能であった天満屋・葦川会館で開催された。部員は39人。娯楽が少ない時代だったのかもしれないが、会場は溢れんばかりの満席だった。

現在の天満屋岡山本店の屋上に葦川会館とうホールがありました。今でも岡山本店6階の催場に「葦川会館」の名前が残っています。

※1961年 ケネディ大統領就任、ガガーリン人類初の宇宙飛行「地球は青かった」

全国大会初出場

第1回定期演奏会が開催された年に、すぐさま中国地区合唱コンクール地区予選(広島市、1962.11.4)に出場し、広島大学グリークラブ、岡山大学グリークラブを破って東京・上野文化会館での全国大会へ出場することになった。勢いとは恐ろしい。

しかし、初めて出場した全国大会は、惨敗し屈辱の最下位に沈んだ。みんな悔しくて上野の森で泣いた。

1962.11.23 全日本コンクール(東京文化会館)

大学の部
①関西学院グリークラブ-男関西
②日本女子大-女-東京
③横浜国立大グリークラブ-男-関東
④東北学院大グリークラブ
⑤西南学院グリークラブ-男-西部
⑥北大合唱団-男-北海道
⑦名古屋大学男声合唱団-男-中部
⑧愛媛大学教育学部合唱団-混-四国
⑨岡山大医学部コール・ロータス-男-中国

※当時は、現在の金賞、銀賞、銅賞ではなく、順位が付けられていた。

『合唱界』に掲載されたコンクール総評

ロータスの部分だけ抜粋したものであるが、初出場とはいえ、とても低い評価を受けた。

磯部 次は中国代表の岡山大学医学部男声合唱団コール・ロータスという大へん長い名称の団体。これは自由曲はグノーの「ミサ」から「グロリア」を歌ったんですが、両曲を通じてテンポの変化がオーバーで、それが大へん気になると思うんです。急にテンポをおそくしたり、早くしたりするということはどうも感心できない。効果だけをたいせつにしすぎてしまって、そこにゆきすぎるのはよくない。

清水 そうですね。やっぱり指揮者はもう少しオーソドックスな音楽表現というのはどういうものかということを勉強してほしいと思います。それから宗教音楽なんていうのは、もともとは非常に地味なものですが、もしハデだとすれば、それは別の意味のハデさであって、外面的なハデさはないはずなんですが……。

※1962年 キューバ危機、首都高速道路開通、ビートルズデビュー

全学部の学生に解放

1963年(昭和38年、第3期)当時の医学部全体の学生数約500人。団員確保に対象学生の少なさは如何ともし難く、このままではロータスは将来じり貧になること間違いなしと判断し、結成3年目の秋、大学祭にて全岡山大学のクラブへと変身を宣言した。

全学部生に入部を呼び掛けたところ、一挙に部員数100人の大世帯となった。さすが全学部のサークルと喜んだのも束の間、二ヶ月後の新春の第3回定期演奏会を待たずして秋に新しく加わった部員や元から居た医学部の学生まで数人が抜け、結局は元からいた部員に僅か数人の新しい他学部の学生による50人足らずの合唱団になってしまった。

結果としては僅か5人にも満たない程度の新しい血の入れ替わりであったが、それが新生ロータスの出発だった。このときの執行部による大英断があったからこそ、その後襲われることになる長く続いた学園紛争の厳しい洗礼を浴び、他のクラブ同様壊滅的打撃を受けながらもロータスは生き延びることができたのかもしれない。近年も医学部生はほとんど在籍していないが、ロータスを全学部の学生に解放したあの時の選択は正しかったのだろう。

※1963年 岡山市民会館開館(2024.3閉館)、黒部川第四発電所完成

※1964年 岡山理科大学開学、東海道新幹線開業、電卓発売

さらなる高みを目指して

ロータスの指揮者は第2代指揮者山崎泰弘に替わり、さらなる高みを目指して練習に励んだ。

また、岡山大学グリークラブ、広島大学グリークラブ、神戸大学グリークラブとの合同演奏会や演奏旅行も開催し、全日本合唱コンクールに挑戦を続けた。

1965年(第5期)には地元岡山県で開催された全日本コンクールで6位にまで順位を上げた。

1965.11.23 全日本コンクール(岡山市県営体育館)

※1965年 岡山商科大学開学、中国で文化大革命が始まる

 

1966.11.23 全日本合唱コンクール全国大会(鹿児島県文化センター) 

1966年(第6期)には鹿児島県で開催された全日本コンクール学生の部3位に輝いた。このときの指揮者は、第2代指揮者の山崎泰弘である。

山崎泰弘は、2024年7月21日に開催予定の創立60周年記念演奏会の第3ステージで「多田武彦男声合唱曲集より」を指揮します。

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当時からロータスは、招聘する先生の指導は受けることがあっても学生指揮者が中心となって演奏するというスタイルを続けています。今でもこのスタイルは変わっていません。

全国制覇まであと2つ。頂点はすぐそこに見えていると思っていた。

※1966年 ウルトラマン放送開始、ポッキー発売開始

 

第2回「挫折」に続く

ロータス物語 第2回「挫折」
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