ロータス物語 第2回「挫折」

ロータス物語

(前回のあらすじ)結成後わずか6年で全国3位となったロータスだが…

ロータス物語 第1回「誕生」
コール・ロータスの誕生 1961.4.17 コール・ロータス結成 コール・ロータスは、岡山大学グリークラブ(注:混声合唱団)から派生して誕生した。岡山大学グリークラブの第5代指揮者は、高杉 潔(後のコール・ロータス初代部長)、第7代指揮者は...

驚天動地

スポーツでないにしろ地方大学のチームが全国大会に出場し、しかも3位になったのだから、当時は学内でも肩で風切る勢いだった。

1966.11.3 第19回全日本合唱コンクール 中国地区大会 1位(全国大会3位)

翌年(1967年、第7期)、当然のごとく全国大会1位を目指しての戦いが始まった。我々が目指す頂はそう遠くないところにあると思っていた。しかし、全国大会の予選を兼ねた岡山県合唱コンクールの順位発表で我々は耳を疑った。アナウンスは確かにこう言った「大学生の部 優勝 中国短期大学フラウェンコール」

確かに”天地驚動”とはこのようなシチュエーション をいうのだろう!茫然自失だった。部長が、その夜緊急役員会を招集した。つい先日まで”日の出の勢い”だったロータスは、敗北に対する免疫能は異常に低いレベルだったのだ。役員会は紛糾した。結局、後日先輩達を招いて、長老会議を開くこととし散会した。

その後、中国短期大学フラウェンコールは、近藤安个先生のもと全国大会4年連続の全国制覇の偉業を成し遂げている。そして、この年以降、ロータスはフラウェンコールに勝つことはできず、全国大会に一度も出場することがなかった。

復活への道

前指揮者、前部長等そうそうたるメンバーが集まり長老会議は始まった。

信じられないことだが長老達からは「なんで負けた?」とか「気合いが入ってない!!!」とか「執行部の責任だ」などの叱責が一言もなかった。彼等の質問はただ一つ「諸君はどうすればロータスメンの士気を高く保つ事が可能と思うか?」のみだった。

そして、この日の長老達のサジェスチョンがロータスにとって初の客演指揮者招聘につながっっていく。ロータスメンの士気を高めるためには、何か新しいことを目指すのが一番と役員会は判断した。

新しいことって?

「混声合唱団として再出発する」という奇策は、即座に否决された。

「一昨年から開始した演奏旅行を全国規模にして大々的に実施する」という案が出された。

実際、この年の春、今年度役員の初仕事として三原、防府、小倉と、山陽道を下る2度目の演奏旅行(1967.3.18-23)を成功させたばかりだった。

1966.3.20-22 演奏旅行(鳥取、舞鶴)

客演指揮者石丸寛先生

「ロータスメンの士気を向上させるに最も理想的な手段は、合唱団コール・ロータスの音楽性の向上である」

この正当で、真摯な意見を毅然と言い放ったのは 部長の瀧正史と正指揮者の下野雅通の二人だった。役員一致の賛同を得て、具体的手段として、「客演指揮者の依頼」「コール・ロータスのための新曲の依嘱」の何れかをアイデアとして進めてみようということになった。

「おい こりゃあ おめえの仕事ぞ!」っと、チーフマネージャーの橋口宏にお鉢が回ってきた。手元にある資料は、音楽之友社出版の「音楽事典」(現在では考えられないことだが、当時は音楽関係者の事務所や自宅の電話番号が収録されていた分厚い本)のみ。

客演指揮者を依頼するにしても、依嘱作品を依頼するにしても、1968年2月の第7回定期演奏会を視野に入れるならば、早急にリアクションしなければ間に合わない事は眼に見えている。半年後の定期演奏会で依嘱作品を演奏することは、非現実的と思われた。さすれば、残された選択肢は客員指揮をいずれかの音楽家に依頼することである。

さて、では誰に?

前年度指揮者の山崎泰弘(第2代指揮者)が「おい、全国大会の採点表持って来い」と叫んだ。合唱コンクール全国大会の審査員ともなれば、日本の音楽会の蒼々たるメンバーが任じられている。なかには現役の指揮者も選ばれているはずだ。その指揮者畑のアーティストが、ロータスの演奏をどう評価しているか調べてみた。採点表が届けられ、10数人の審査員の個別の順位が明らかになった。

そして、岡山大学男声合唱団コール・ロータスを1位に推していた音楽家の名前が分かった。それが、当時作曲家”黛 敏郎”とのコンビで、テレビの有名な「題名の無い音楽会」の音楽監督。人気絶頂の指揮者”石丸 寛”氏その人だった。

音楽事典の電話番号を頼りに、何度か自宅に電話し(ジェームズ・ボンドですら携帯電話を使っていない時代だった)、やっと本人と話ができたた。冷や汗をかきながら自己紹介をし、客演指揮をお願いした。

石丸先生の最初の質問を今でも覚えている。「岡山かあ 東京からどーやって行くの?」だった。

こうして、ロータスは、最初のアプローチで最高の客演指揮者を得ることができた。

後日、第7回定期演奏会のプログラムに、石丸先生から「暖かくなろう!」という一文を寄せていただいた。

第7回定期演奏会への寄稿文(石丸寛)

 

1968年2月3日の岡山市民会館での第7回定期演奏会は、総ての座席という座席は埋め尽くされていた。石丸寛先生のステージ「アメリカの古い民謡」は、そのメリハリの利いたクリスピーな指揮と洒落た音楽性、ロータスメンの涙ぐましい努力の甲斐あって、会場全体を興奮の”るつぼ”とした。演奏直後、観衆は総立ちとなった。

こうして、ロータスメンは新しい一歩を踏み出した。胸を張って、再び肩で風切りながら・・・

1968.2.3 第7回定期演奏会パンフレット

※1967年 「リカちゃん人形」発売、ミニスカートブーム

 

第3回「ロータスの歌」に続く

ロータス物語 第3回「ロータスの歌」
(前回のあらすじ)挫折したロータスは、石丸寛先生を第7回定期演奏会(1968.2.3)の客演指揮者に迎えて新たな一歩を踏み出した。 初の委嘱作品 1967年(第7期)に新たな一歩を踏み出したロータスであるが、やはり次の年(1968年、第8期...
ロータス物語 ~ロータス60周年+αのあゆみ~
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「岡山大学男声合唱団コール・ロータス創立60周年記念演奏会」~武内成禮追悼コンサート~ 2024年7月21日(日)に岡山シンフォニーホールにて開催します。 創立60周年記念演奏会 2020年夏に開催が予定されていた創立60周年記念演奏会はコ...