(前回のあらすじ)平成の幕が明けた。昭和末期に向けて団勢が緩やかに下降線をたどっていくロータスであったが、あらゆる手段を使った新歓活動が昭和63年から実を結び始めて新入生が増えていく。1,2年生の比率が圧倒的に高く若い合唱団であったが、団員数は40人を超え合唱団としての基礎が固められていく。

※第9回「平成」と時代が重複する部分があります。
30周年まであと2年
指揮者の重圧
第28回定期演奏会(1989.1.21、昭和64年)の終演後にレセプションが始まった。30期指揮者の和田は、これまでにない大変な重圧と焦りを感じた。最初に感じたのは、大学1年生のこのレセプションだった。初めて立った定演のレセプションでOBの大先輩達から厳しい指摘や批判に晒されたからだ。次期正指揮者である29期江本と副指揮者の30期和田は、レセプションで盛り上がる中、2人揃って歴代指揮者に挨拶して廻り、様々な助言を得たが、まだ2年も先の定演となる第30回記念定期演奏会の話が常に出てくるのだ。もうそれだけで30回定演がいかに大変な演奏会であるのかを痛感した。
渉外マネージャー2名体制
第28回定期演奏会を終え、1989年度(昭和64年・平成元年、29期)が始まった。 第29回定期演奏会(1990.1.20)の成功を目指し、29期渉外マネージャー吉田の下で、30期の田村と澤田は、コンサートマネージャーとして修行を積むことになった。「30期渉外マネージャー2名体制」、これが2年後の第30回記念定期演奏会に向けて踏み出した第一歩であった。
緻密でミスの少ない田村が例年のコンサートマネージャーの仕事を担当し、澤田は専らロータスの広報を担当することになった。第28回定演の観客が400人を切ったため、第29回定演の目標を600人と定め、対外活動を行う吉田をサポートした。
1989年(平成元年、29期)は、岡山市制100周年事業市民の祭典「岡山物語」、全日本おかあさんコーラス中国支部岡山大会ゲスト出演、中国二期会オペラ「こうもり」、伊島小学校依頼演奏などの機会に恵まれ、吉田が着々と人脈を築いていく姿を見て600名は余裕で超えると感じた。
第29回定期演奏会
第29回定期演奏会(1990.1.20)の当日、期待とは裏腹に開場時間になってもお客さんが途切れ途切れ来るだけで行列ができない。こんなはずはない、そのうち来るはずと思いつつ、あっという間に開演時間が近づいた。既に幕の裏でスタンバイしていた団員に「客の入りどう?」と訊かれて俯くしかなかった。
閉演後に集計した結果、実際の観客数は前年同様、400人に届かなかった。受付に山積みになった数百部のパンフレットを自転車のカゴに入れ、ボックス(部室)に持ち帰った時の虚しさを澤田は今でも忘れられない。
第29回定期演奏会(1990.1.20) 岡山市民文化ホール
※1989年 昭和天皇崩御、「平成」始まる、消費税施行(税率3%)、ベルリンの壁崩壊、天安門事件、アメリカ・ソ連が冷戦の終結を宣言(マルタ会談)
30周年の年が明けた
第30回記念定期演奏会の構成
第30回目の定期演奏会は、「記念」が付く。5年ごとに開催される「記念」が付く定期演奏会は、OBステージが追加されて5ステージ構成となることが恒例だった。1年後の記念定期演奏会に向けて、30期指揮者和田たちは、OBとの打ち合わせに向かった。
OBの先輩達、特に酋長(初代指揮者1期武内)の意見は絶大だ。当時、まだ50代の働き盛りで、OBでもある常任指揮者の上月先生(10期指揮者)を「上月」と呼び捨てにするなど現役からすると雲の上の存在だった。そんな雰囲気の中で、上月先生と現役で検討したステージ構成案を提示した。
第1ステージ 外国語曲 現役(学生正指揮:30期和田)
第2ステージ 外国語曲 OB(初代指揮者:1期武内)
第3ステージ 日本語曲 現役(常任指揮者:10期上月)
第4ステージ 企画 現役(学生副指揮:31期広尾)
第5ステージ 日本語曲(ピアノ) 現役(学生正指揮:30期和田)
打ち合わせの結果、OBの声を現役が学べるようにとの配慮から男声合唱組曲「月光とピエロ」をOBと現役が合同で演奏することに決まった。
次は副指揮ステージが課題となった。酋長の演奏が先となると副指揮ではなく客演指揮者を呼んだ方が格好がつくという話になり、岡山で一番実績がある近藤安个先生しかないということで決まったのだ。
第1ステージ 外国語曲 現役(学生正指揮:30期和田)
第2ステージ 外国語曲 OB(初代指揮者:1期武内)
第3ステージ 「月光とピエロ」 OB・現役合同(常任指揮者:10期上月)
第4ステージ 企画 現役(客演指揮:近藤先生)
第5ステージ 日本語曲(ピアノ) 現役(学生正指揮:30期和田)
定演で副指揮のステージがなくなることを伝えると、31期指揮者の広尾は困った顔をして「しゃーないですね」と答え、和田も「堪えてくれ」と言うしかなかった。そして別の機会にデビューステージを組むという約束で納得してもらった。
広尾は、高校時代に合唱経験者であるだけでなく、学生指揮者の経験もあるというエリートだった。練習中、和田はセカンドの前指揮者江本と広尾が首を傾げると気になった。さらに2人同時に首を傾げることがあれば、もう練習を止めるしかないと思ったものである。
男声合唱のための「演歌の花道」
30期指揮者の和田は、客演指揮を依頼した近藤先生のご自宅にステージ構成を伝えるとともに選曲を伺うために訪問した。すると開口一番、「おい、和田、御踊(おらしょ)はどうだ!」と楽譜を渡された。男声合唱組曲「御踊(おらしょ)」は、最高峰の男声合唱曲の一つで高音を出し続ける大曲である。この年、ロータスは50人に届かない合唱団だったが、テナー系は人数が少なく非力と感じていた。技術系で検討し、先生の期待する演奏レベルには到底届かないとう結論に至った。
「御踊」を演奏することは難しいとお断りをすると、近藤先生自らが編曲する「演歌の花道」が提案されたのだ。「演歌の花道」は、”寅さんの旅”をテーマに、ステージで役者(演劇部に依頼)の芝居を交えながら演奏する構成だった。「函館の女」「与作」「北の宿から」などヒット曲を織り交ぜながら、当時大ヒットしていた『24時間戦えますか!』で有名な栄養ドリンクのCMソング「勇気のしるし~リゲインのテーマ~」や、ちびまる子ちゃんのテーマ曲「おどるポンポコリン」も加えていった。和田は、編曲したての楽譜を受け取るために近藤先生宅に頻繁に訪問することになった。
男声合唱組曲「Enfance finie 〜過ぎ去りし少年時代〜」
30期指揮者の和田は、演奏についてOBからのお叱りをいかにかわすかずっと考えていた。1年経過してひとつの答えを導き出した。それは、ロータスが過去に演奏していない曲で、かつ他団でもあまり演奏されていない曲を採用することだった。つまり、作曲されてすぐの新曲に取り組むことだった。
それが1987年に初演された三好達治作詩、木下牧子作曲の男声合唱組曲「Enfance finie 〜過ぎ去りし少年時代〜」だった。日曜7時のNHKラジオ「たのしいコーラス」が最初の出会いだった。放送時間は、わずか20分間だったが、第38回東京六大学合唱連盟定期演奏会での慶應義塾ワグネル・ソサィエティー男声合唱団の”フォーレ”に続き、合同ステージの関屋普先生指揮による「Enfance finie」の3曲目「毀れた窓(こわれたまど)」が放送された。次々に各パートに現れるメロディ、流れるようなテンポとピアノ、なによりも最後に若い力強さを存分に出し切る演奏に衝撃が走ったのだ。和田は、この演奏を聴き、30期の通年曲を「Enfance finie」に決めたのだ。
ところが、この「Enfance finie」は、夏のジョイントコンサートで山本壽太郎先生指揮の合同ステージの演奏曲に決まったのだ。当時、奈良県合唱連盟理事長だった山本先生のご自宅に30期渉外マネージャー田村と伺いご挨拶した際、選曲理由をお伺いしたところ、何と和田と同じラジオ放送を聴いて決めたとのこと。山本先生も同じように感動されていたのでこれは名曲に違いないと和田は確信した。
山本先生は、夏のジョイントコンサートに向けて岡山に来られた練習帰りのタクシーで、4大学で一番音がとれており気分が良い練習だったと和田がしびれる感想を述べられた。それもそのはず、何しろ通年で取り組む曲であり、そして何より和田がゾッコンの曲だから、単独ステージに負けないくらい気合いを入れて練習していたからだ。
そのままの勢いで愛知大学男声合唱団、東京大学音楽部コール・アカデミー、名城大学グリークラブが待ち受ける名古屋に乗り込んだのだ。
4大学Joint Concert(愛知大学男声合唱団、岡山大学男声合唱団コール・ロータス、東京大学音楽部コール・アカデミー、名城大学グリークラブ)(1990.7.14) 客演指揮 山本壽太郎 (愛知県勤労会館)
目標800人
4大学Joint Concert(1990.7.14)は、皆が勝手に演奏でも打ち上げでも勝ったと思っていたので、夏休み明けの練習でもロータスは活気に満ち溢れていた。30期渉外マネージャーの澤田は、満を持して第30回記念定期演奏会の目標観客数を発表した。
800人
過去2年で400人も集められなかった客を急に増やすことは容易ではない。心の中では、600人であればなんとか…と思っていた。前回の定演では600人を目標にして400人も入らなかったことを考えると、表向きの目標は800人としておこうと、この数字にした。
具体的な戦略として、チケットの半券に通し番号を印刷した。第29回定演で客が入らなかった原因は「客入れはマネージャーや役員が頑張るもの」という意識が団員の中にあったのではないかと澤田は感じていた。誰が演奏会に何人呼んだのか集計することで団員一人一人が自覚を持つのではないかと考えた。当時、棒グラフで示した営業成績が壁に貼られたシーンがドラマでよく出ていたので、それを真似て作成し、それぞれ何枚配ったのか一目で分かるようにもした。ゼロの団員には他の団員が代わりにさばいて、少しでも棒が高くなるよう手伝ったり、パートごとに配付枚数を競う雰囲気も醸成されていった。
そのうち「800人入れようと思ったら1,500枚は配らないと無理だろう」と発破をかける団員も出てきた。600人入れば御の字だというのは口が裂けても言えないような雰囲気になっていった。客を入れることに対して目の色が変わっていく団員を見ているうちに、澤田は本当に目標を達成できるのではないかと思うようになってきた。
メンデルスゾーン
前年度の第29回定演では、29期江本の指揮でロータスは久しぶりにミサ曲に取り組んだ。30期指揮者の和田は、古典の響きに快感を覚えたロータスメンから30回定演も宗教曲を選べという圧力を感じていた。しかし、既に通年曲は男声合唱組曲「Enfance finie」に決めていた。もう1ステージの曲が決まらないまま、合同演奏会で仲良くなった東京大学音楽部コール・アカデミーの指揮者から、メンデルスゾーンの宗教曲「VESPERGESANG ”三位一体後第21主日の夕方の応踊と讃歌 Op.121″」というものがあるという情報を聞き、演奏テープと楽譜を送ってもらった。届いたテープを聴いてみると、流れるメロディラインと強烈なソロが続き、奥深い曲に感動した。しかし、この曲にも高い壁があった。チェロとコントラバスの弦楽器伴奏が付いていたのだ。
しかし、和田は演奏してみたくてたまらなかった。この思いはロータスメンに伝わり、定演で演奏することに決まった。弦楽器奏者は、岡山大学交響楽団(岡大オケ)のOBに依頼し、何度もボックスに楽器を運んでもらって練習をすることになった。
和田は弦楽器と共に演奏するにあたり、ソリストをオーディション制とした。ソリストになろうと必死に練習する団員も多く、毎回熱気溢れる練習になった。
チケット2,000枚
渉外マネージャーの澤田は、体を張って動くしかないと思っていた。かといってこれまでと違うことをするのではなく、一つ一つ丁寧に見直すことにした。まずは岡山市内の合唱団にチラシを渡して終わるのではなく、練習に足を運んで団員の方に一人一人に声をかけるようにした。
さらに岡山市外であっても宣伝に行った。最遠方は高梁市の「コールたかはし」だった。「コールたかはし」の定期演奏会(1990.11.11)にロータスが賛助出演したことをきっかけに指揮者の丸池先生とは繋がりができていた。丸池先生に宣伝したい旨を伝えると快諾していただいたが、条件を出された。宣伝に来た際に合同ステージで歌った曲を一緒に歌って欲しいという。ところが宣伝に行く日に限ってメンバーが揃わない。結局、腹を括ってコンサートマネージャーの服部と2人で行くことになった。宣伝後の合同演奏では、「コールたかはし」の20人以上の声量に圧倒されながらもテナー1人、ベース1人で負けじと声を張り上げた。演奏が終わった後に多くの団員の方に握手を求められ「絶対聴きに行くからね」と言ってもらえた。帰りの車の中で涙が滲んだ。
一通りの合唱団を廻ったがまだ物足りなく感じた。そこで思いついたのは吹奏楽であった。高校生は集団で来てくれそうなので、吹奏楽部のある高校に片っ端から電話をかけて顧問の先生に繋いでもらい、宣伝させて欲しいとお願いした。多くの高校で門前払いされたが、いくつかの高校は快諾してもらった。せっかくの機会なので、歌が上手くマスクも良い団員を集めダブルカルテットで歌い一人一人にチラシを配った。
また、友人、知人、家族に演奏会をに来てくれるように何度も念押しし、やれることはすべてやった。最終的にボックスに貼られた棒グラフを集計するとチケットの配布枚数は2,000枚を越えていた。
※1990年 イラクのクウェート侵攻、大学入試センター試験導入、スーパーファミコン発売
第30回記念定期演奏会
長蛇の列
1991年1月19日の演奏会当日。30期渉外マネージャーの澤田は、過度な期待はしないようにしていたが、はやる気持ちを抑えきれない。何度も時計を見ながら開場時間を待った。
開場して、最初のお客さんを迎える。その瞬間、目に入って来たのは長蛇の列であった。5分経ち、10分経っても列が途切れない。パンフレットの束を受付に並べてもあっという間になくなってしまい、ついに準備していた1,000部のパンフレットが全てなくなってしまった。
去年と同じように、開演時間直前に幕の裏でスタンバイしていた団員に「客の入りどう?」と訊かれ、「最低でも1,000人」と答えたが、最初は誰も信じなかった。しかし、澤田の言葉が冗談じゃないと伝わり、みなが声を失ったとき、「俺は緊張しねえぞ!」と30期パートリーダー山内が声をあげた。だが、みんな同じ気持ちだった。緊張しているロータスメンは一人もいなかった。ステージ上には、演奏に立ち向かう気概があるロータスメンしかいなかった。
幕が開くと、暗闇の中であっても客席の雰囲気や聞こえてくるざわめきがこれまでとまったく違っていた。歌い終えたあとの拍手は、雨音のように迫ってくる。本当に気持ちが良かった。
観客総数は1,200人を超えていた。澤田が、心の中で密かに立てた目標600人の2倍に達していた。1,000部のパンフレットを用意することすら勇気が必要だったのだが、パンフレットを受け取れなかった方々には申し訳なく思いつつも本当に嬉しかった。
メンデルスゾーン
第30回記念定期演奏会(1991.1.19) 第1ステージ VESPERGESANG ”三位一体後第21主日の夕方の応踊と讃歌 Op.121″ Cello 石井泰文(岡大オケOB) Contra Bass 雪吉英樹(岡大オケOB) 岡山市民会館
30期指揮者和田の新しい白い指揮棒とロータスメンの黒礼服で統一されたステージは、メンデルスゾーンの宗教曲のイメージにも合い、初めての試みとしてはいい演奏となった。
Spirituals OBステージ
OBによる単独ステージ。ロータスがたびたび演奏してきた黒人霊歌を演奏している。創世記のOBもまだまだ元気でソロも含めて重厚なステージだった。
男声合唱組曲「月光とピエロ」 OB現役合同ステージ
第30回記念定期演奏会(1991.1.19) 第3ステージ 男声合唱組曲「月光とピエロ」 指揮 上月明 (OB・現役合同) 岡山市民会館
第17回定期演奏会(1978.1.21)から13年ぶりとなる現役・OB合同ステージとなった。現役はネクタイを揃えず、OBは各自スーツでステージに立った。常任指揮者上月(10期)による演奏は、現役にはない響きと一体感を生んだ。
この「月光とピエロ」は、5年後の第35回記念定期演奏会(1996.1.20)のOB・現役合同ステージ、20年後の第50回記念定期演奏会(2011.1.8)のOBステージでも歌われ、OB関連ステージで定番化してく。
男声合唱のための「演歌の花道」
第30回記念定期演奏会(1991.1.19) 第4ステージ「男声合唱のための演歌の花道」 編曲・構成・客演指揮 近藤安个 ピアノ 大池真理子 寅さん 丸山征二(演劇部) 岡山市民会館
寅さんの芝居により客席から笑いが起きたり、「北の宿から」の31期服部の素晴らしいソロや「さすらいの道」の31期三島のピアニカソロなど非常に楽しめるステージだった。ステージアンコールの「勇気のしるし~リゲインのテーマ~」では、1,200人の観客から自然と手拍子が巻き起こり、素晴らしいステージになった。
男声合唱組曲「Enfance finie 〜過ぎ去りし少年時代〜」
第30回記念定期演奏会(1991.1.19) 第5ステージ 男声合唱組曲「Enfance finie 〜過ぎ去りし少年時代〜」 ピアノ 大池真理子 岡山市民会館
「Enfance finie」が、初めてロータスの定演で演奏された。この名曲は、この後3度にわたりロータスの定期演奏会で演奏されることになる。
※第38回定期演奏会(1999.1.17)、第48回定期演奏会(2009.1.17)、第53回定期演奏会(2014.1.25)
※1991年 湾岸戦争勃発、ソビエト連邦解体、バブル崩壊、岡山シンフォニーホール開館
第11回「時化」に続く






