(前回のあらすじ)1994年、ロータスのホームページは、32期指揮者の山根の個人紹介ページに掲載した1枚ステージ写真から始まり、翌1995年、33期部長斎藤によってロータスのホームページが正式に誕生した。その誕生はYahoo! JAPAN、Google、Amazonより早かった。その後数年経っても「ロータス」で検索1位が続いていた。

讃歌
2000年(平成12年、40期)は部員58名が在籍し、大学院生や大学院に進学していないのに何年も在籍している長老たちの知識もあり安定した活動を行っていた。部室は24時間営業で、歌声や麻雀稗を混ぜる音にリーチやロンなどの奇声、ファミコンやドリームキャストといったゲーム機の音、たまにピアノといった喧噪に満ちていた。大学による学祭での酒類販売の禁止、部室の施錠の義務化、深夜活動の禁止といった制約が少しづつ増え始めていたものの、まだ大勢に影響が出るほどではなかった。
そんな中、引き継がれていた伝統を更に発展させていった。ここではその一部を紹介する。
GW旅行 鳥取砂丘強行軍
GW旅行(第43回定期演奏会パンフレットから)
4月は新歓期間ということで花見・コンパ・ボウリング大会・24時間コンパ・新歓合宿などイベント尽くしであるが、新歓行事の締めくくりとしてゴールデンウィークに鳥取砂丘を訪れた。
車を所有している部員は、この日のためにペーパードライバーのロータスメンの教習を行う。ウィンカーを出す代わりにワイパーを動かすような運転手に愛車を運転して欲しくはないのだが、深夜に出発し翌日帰ってくる0泊2日の強行行程であるためドライバーは多いに越したことはない。
旅行当日、新歓期間特有の軽い練習をこなした後、レンタカーも含めて複数台で出発する。夜もふけるにつれテンションも上がり、カーステレオからはJ-POPや、車によってはアニメソング・特撮縛りのBGMが流れ、ドライバーの眠気覚ましもあって熱唱したりもする。なお、新入生が男声合唱に浸かりきるまでは男声合唱を響かせるのはご法度だ。
こうして一般道を4~5時間ほど走り、鳥取砂丘に到着する。40期指揮者西山の知る限り辿り着けなかったことはなく、途中のコンビニに停車する際に看板に突っ込んでリアガラス全壊くらいで済んでいる。
砂丘を裸足で歩き、標高約47mの砂丘を越えると、日本海が待ち構えている。暗闇の中でも荒波が重低音を響かせ、瀬戸内海には無い激しさを感じさせる。そこで練習したての「斎太郎節」を歌う。暴風の中、砂が口に入らない方向を探りながら歌うがどうやっても口の中は砂まみれになる。
そして、パートリーダー対抗砂丘越えレースが開催される、斜面を転がり落ちるなど若さを爆発させる。はしゃぎすぎて落としたメガネが一瞬で埋まり、暗闇の中で探すも見つからない、というアクシデントも発生するが、存分に砂丘を満喫し鳥取を後にする。あのメガネは今でもGW旅行で訪れたロータスメンを見守っているのかもしれない。
帰りの旅程は年によって様々で、天然の大露天風呂「砂湯」に寄ったり、足を延ばして尾道観光をしたりと様々である。
GW旅行ではないが、取り組む曲に関連する場所を訪れる旅行も有志により行われていた。多田武彦作曲「冬の日の記憶」を歌う年は山口県の長門峡を訪れ、「北斗の海」「海鳥の歌」を歌う年は北海道に足を運んだ。40期指揮者西山は諸事情により7年間在学したが、最後の1年は時間がありあまっていたためヨーロッパを1ヶ月ほど巡り、ライン川でエール「Die Wacht am Rhein」を(小声で)歌っている。
音取りテープ
当時も男声合唱の出版状況が芳しくなく、選曲の際はもっぱら部室にあるCDかライブラリに収納されている楽譜を参考にしていた。しかし、このままではレパートリーが増えないため、まだ情報が溢れているといえないネット上でどこの大学がどんな曲を演奏したかが掲載されると、とにかくメールを送って演奏音源と楽譜を郵送してくれないかと頼んだ。まだ、出版されていない手書きの楽譜が手に入ることもあり、貴重な時代だったのかもしれない。
練習に関して、下宿でも音取り音源を部員に配布するが、2000年(平成12年、40期)頃はまだCD-Rが普及しておらず、まだカセットテープが主流だった。カセットテープのダビング(コピー)は再生しながら録音しなければならないため、ダビングするためには、収録されている長さと同じ時間がかかる(倍速ダビングできる機械もあった)。そのため、人数分のダビングが終わる頃には作業するロータスメンの音取りが完了する。なお、ダビング中に麻雀をする場合は除く。
音取りテープの内容は実演奏、パート譜をピアノで弾いて録音したもの、パソコンに打ち込んだ楽譜データを再生したものなど様々である。40期指揮者西山はピアニストの大池真理子先生からキーボードとパソコンを繋ぐMIDI機器を頂戴し、楽譜データ作成に大活用させていただいた。時代の進歩で高価なMIDI機器は不要となったが、今でも大切に保管している。
現在(2024年、令和6年、64期)はスマートフォンが普及しており、有名な曲であればYoutubeなどに合唱愛好家が作成した音取り動画が公開されている。公開されていない場合でも楽譜データを作成したらMP3ファイルに変換して部員に送信すれば終了だ。新曲の情報もネット上に溢れ、演奏も簡単に聴くことができ、出版譜も簡単に購入できる。良い時代になったものである。
ジョイントコンサート
毎年夏には他大学男声合唱団とジョイントコンサートを行っていた。青春18きっぷを使って鈍行で東京や福岡などに行き、あるいはホストとして岡山に招き、演奏と打ち上げでしのぎを削っていた。
そんななか、当時はアカペラがブームになり始めたころであり、翌年2001年5月にフジテレビ系で「ハモネプ」が始まるような時代背景だった。後にこの「ハモネプ」を監修することになる世界アカペラ連盟日本代表(当時)の犬飼將博氏(岡山県出身)によって海外アーティストを招聘する企画が立ち上がり、それを迎える団体としてロータスに白羽の矢が立ったのだ。そして、2000年(平成12年、40期)6月に、海外のコーラスグループである「アコースティックス」とのジョイントコンサートを岡山シンフォニーホールで開催することになった。
新年度すぐという厳しいスケジュールであったが、ロータスは1月の定期演奏会終了後からステージに向けた練習を開始し、堂々とした演奏を披露した。打ち上げではたどたどしい英語で交流し、偶然その日が誕生日であった団員は「Happy Birthday」のハーモニーで祝福されるなど交流を深めた。
Joint Concert「SEA MEN」(大阪大学男声合唱団、岡山大学男声合唱団コール・ロータス)(2000.8.4) 客演指揮 浅井敬壹 (大阪ザ・シンフォニーホール)
同年8月には、例年どおり他大学男声合唱団(大阪大学男声合唱団)とジョイントコンサートを開催した。会場には1,000人を超す観客にご来場いただき、単独ステージで男声合唱組曲「北斗の海」、合同ステージで客演指揮者の浅井敬壹先生によって男声合唱組曲「海の構図」を演奏した。
OSCAと合唱連盟
岡山県合唱フェスティバル(2000.10.8) 岡山シンフォニーホール
ロータスは人数も多く活発に活動していたため、外部に対しても大きな力を持っていた。毎年6月に開催される岡山県合唱フェスティバルではOSCA(岡山県学生合唱連盟)による合同演奏(混声合唱)を行っていたが、何故か男声合唱団であるロータスの学生指揮者が練習で指揮することもあった。
また、合唱フェスティバルのレセプションでは、当時の岡山県合唱連盟理事長近藤安个先生の「ロータス、何かやれ!」という突然の一言に焦りつつも指揮者の「ロータス! U Boj いくぞ!」の掛け声に整列し、演奏を披露した。指揮者は椅子の上に立ち、団員は足を蹴り上げるラインダンスを踊りながら歌うので、レセプションの場に相応しいかの疑問であるが、とりあえず大きな拍手をいただいた。
クリスマスキャロル
X’ライヴ(クリスマス依頼演奏)(2000.12.17) NTTクレド岡山
1993年(平成5年、33期)から始まった街頭ゲリラライブであるクリスマスキャロルが功を奏したのか、驚くべきことに2000年(平成12年、40期)冬に正式にNTTクレド岡山からクリスマスキャロルの出演依頼を受けたのだ。1999年2月に竣工したクレド岡山ビルは、天満屋の近くに位置する商業ビルで当時岡山県内で最も高い建物であり、かつおしゃれショッピングスポットだった。ロータスと対比すると違和感しかない。
当日は小雨の中、ロータスメンは岡山駅西口に集合した。その後、駅前や地下街でサンタ服やトナカイスーツを来た男だらけの集団が練り歩きながらクリスマスキャロルを披露した。行き交う人々にクリスマスムードを届け、警備員が近づいてきたら散開した。
そして満を持してNTTクレド岡山に向かうと、入口広場には、鮮やかな赤絨毯が敷かれ、八方から容赦なく浴びせられるスポットライト、そして「コール・ロータス X’masライブ」と書かれた大きな看板がロータスメンを圧倒する。
歓迎されているという喜びと、ここでは逃げなくて良いのだという安堵、そして想像をはるかに超える立派なステージに緊張を感じつつ、POPかつ重厚なハーモニーを響かせ、クリスマスの街を行き交う人々の足を止めた。その様子は新聞にも掲載され、切り抜き記事が学裏(岡山大学北側の学生食堂街)にあるロータス御用達のひとつ食事処「ひで」に飾られた。
※2000年 コンピューター2000年問題、2000円札発行、シドニーオリンピック
第40回記念定期演奏会
第40回記念定期演奏会(2001.1.20) 岡山シンフォニーホール
2001年1月20日(平成13年)に第40回記念定期演奏会をOBステージを含む5ステージ構成で開催した。当日は雪が舞い客足が心配されたが、男声合唱組曲「北斗の海」を披露するには寧ろ相応しい天気だと士気は高まった。開場すると1,000人を超える観客が岡山シンフォニーホールに来ていただき、盛会の内に終演を迎えた。
記念定期演奏会の年であるというプレッシャーもあったが、様々な機会に恵まれた年であったことは間違いない。
※2001年 アメリカ同時多発テロ、狂牛病騒動、USJ開園、岡山コンベンションセンター(岡山駅西口)開業
第15回「50周年」に続く





