ロータス物語 第15回「50周年」

50周年記念演奏会レセプションの武内先生 ロータス物語

(前回のあらすじ)2000年は部員58名が在籍し、大学院生や大学院に進学していないのに何年も在籍している長老たちの知識もあり安定した活動を行っていた。部室は24時間営業で、新歓活動も存分に楽しみ、ジョイントコンサートも毎年夏に開催し、冬のクリスマスキャロルを経て定期演奏会に向かっていった。ロータスメンすべてが1年間を存分に楽しんでいた。

ロータス物語 第14回「讃歌」
(前回のあらすじ)1994年、ロータスのホームページは、32期指揮者の山根の個人紹介ページに掲載した1枚ステージ写真から始まり、翌1995年、33期部長斎藤によってロータスのホームページが正式に誕生した。その誕生はYahoo! JAPAN、...

50周年にむけて

今回は、ロータスOB会による初の単独演奏会である創立50周年記念演奏会を中心にまとめています。

当時のロータスは、常時60人以上を擁して安定した活動を続けていた。このころのOBは、現役の心配も少なく、おぼろげながら見えている創立50周年を意識し始めていた。

第45回記念定期演奏会

第45回記念定期演奏会(2006.1.21) 第1ステージ 男声合唱組曲「柳川風俗詩」 岡山シンフォニーホール

第45回記念定期演奏会は、2006年1月21日(平成18年)に岡山シンフォニーホールで開催された。5年に一度の記念定期演奏会だったためOBステージで、酋長(初代指揮者武内)指揮によるRobert Shaw「世界の歌」を演奏している。

これまで数々の記念定期演奏会で演奏した男声合唱組曲「月光とピエロ」ではなく、外国語曲を取り上げたが、練習回数が少ないながらもなんとか形にすることができた。しかし、参加するOBは重鎮の比率が以前より高くなり、若いOBの参加が少なかった。

このころOBの多くは、おぼろげながら5年後に見えた次の50周年を見据えていた。第45回記念定期演奏会に向けての練習でも、「50周年は単独演奏会をせにゃあならん」という声があちこちで上がっていた。しかし、具体的な話は一切なかった。

これまで5年に一度の記念定期演奏会のOBステージは、OB会長1期大島と初代指揮者武内のカリスマのもとで11期井内が世話役として、東奔西走して成り立っていた。そのような体制で単独演奏会ができないことは明らかだった。多くのOBは、「演奏会をするんだろう」となんとなく考えていた。

※2006年 冥王星が惑星から除外、日本郵政株式会社発足、岡山駅橋上駅舎完成

第46回定期演奏会

第46回定期演奏会(2007.1.13) 岡山市民文化ホール

それから1年が経ち、2007年1月13日(平成19年)に第46回定期演奏会が開催された。当時のレセプションは、結婚式が開かれるような大きな部屋で立食形式だったが、いくつかの円卓に先生方やOBの重鎮のみが座る形で開催されていた。現役や若いOBたちは部屋の周りに並べている椅子に座るか立って食事して、最後に歌ってから二次会に向かうことが恒例だった。

この年は、前年に記念演奏会が開催されていたため予想どおり定期演奏会に足を運ぶOBの数は減っており、レセプションのOBはさらに少なかった。

その余波を受け、まだまだ若造であると自負していた30期山本、和田、早瀬、31期山下たちがテーブル席に座ることになってしまったのだ。この世代は、これまで毎年レセプションに出席していたが、重鎮たちと話す機会は一切なかった。彼らは、勝手に危機感を抱いた。このままでは50周年の単独演奏会の話など消えていくのではないか?円卓に座ったことで50周年について意見してもいいような気になった。

宴たけなわになる前、山本と山下が重鎮である8期難波(のちの第2代OB会長)に話しかけた。

「50周年に単独演奏会をしたい」
「大変な労力が必要になるが、その覚悟が君たちにはあるのか?」

こうして、50周年記念演奏会の扉が開いた。

※2007年 初代iPhone発売(アメリカ)、建部町と瀬戸町が岡山市に編入、VOCALOID初音ミク発売

組織化への道

単独演奏会を行うためには、OB会の組織化が必要だった。

当時のOB会は、組織としての体をなしていない状態だった。OB会費も存在していなかったし、現役援助も一切なかった。ステージに立つOBだけが記念演奏会ごとにチケットノルマを払っているだけだった。

2007年5月13日(平成19年、47期)に第1回OB会組織化準備委員会が開催され、ロータスOB会は組織化に向けて第1歩を踏み出した。組織化への呼びかけに応じて1期大島会長、8期難波、10期上月、11期井内、30期和田、30期早瀬、31期天野、31期山下、34期大塲が集まった。

組織化を図るために、OB名簿を精査するところから始めた。当時のOB名簿は、現役が管理し卒業年度ごとにまとめられ、入学年(誰と誰が同期か)が分からない状態だった。また、名簿に記載されていないOBも数多く存在し、文書ファイル(ワープロ文書)でまとめられているなど、活用しづらい状態だった。

また、OB会を明文化するために、名簿の精査に平行して規約を新たに作ることになった。

新生OB会発足

第47期総会(2008.1.19)大島会長(当時)

年が明け、2008年1月19日(平成20年)に開催された第47回定期演奏会の開演前に岡山市民会館204会議室において、47期総会が開催された。事実上、新生OB会による第1回総会だった。

1期大島会長の「長かった。本当のOB会ができるまで50年(47年)かかった・・・」という言葉で総会は始まった。

第47期総会(2008.1.19)

この総会で、規約が承認され、新生OB会が誕生した。こうして、1年をかけてOB会は組織を整え、3年後の50周年にむけて正式に動き出すことになった。

また、規約の発効により、新たに年会費が設けられた。会費は、当初から現在までOB会活動に必要な経費と現役の援助に充てられている。新生OB会発足後は、厚い現役援助が続いている。特にこれまで援助を受けていた若手OBは、忘れずに会費を納入して欲しい。なお、OB会が主催する単独演奏会等については、チケットノルマや寄付金が充てられている。詳細は、決算報告を参照していただきたい。

その後、22期竹田、22期三宅、30期山本、37期坪井、40期西山らが役員に加わり、より能動的に動き始めた。

生まれ変わったOB会は、勢いがあった。新生OB会結成後の8年間で8度のステージに立ったのだから、その勢いが分かるだろう。

  • 2010.6.6 合唱フェスティバル(岡山シンフォニーホール)
  • 2010.7.3 創立50周年記念演奏会(単独演奏会)(岡山シンフォニーホール)
  • 2011.1.8 第50回記念定期演奏会(OBステージ)(岡山シンフォニーホール)
  • 2012.5.26 大洲演奏会 ~如法寺改修チャリティーコンサート~(単独演奏会)(愛媛県大洲市民会館大ホール)
  • 2014.1.25 第53回定期演奏会(OBミニステージ)(岡山市民会館)
  • 2014.5.25 フラウェンコール シャルマントゥ 岡山大学男声合唱団コール・ロータスOB会 ジョイントコンサート(共催合同演奏会)(岡山シンフォニーホール)
  • 2014.11.30 第3回全日本男声合唱フェスティバル in岡山(岡山シンフォニーホール)
  • 2016.1.16 第55回記念定期演奏会(OBステージ、現役・OB合同ステージ)

※2008年 アメリカ大手投資銀行リーマン・ブラザーズ経営破綻、洞爺湖G8サミット、北京オリンピック

50周年記念事業

OB会は、50周年記念事業として4つの事業を打ち立てた。どれもがOB会が過去に取り組んだことがない大きなものだった。

  • 創立50周年記念演奏会
  • コール・ロータス50年史
  • 50周年記念委嘱作品
  • ディジタル化

創立50周年記念演奏会への道

OBの多くは、「50周年を迎えるのだから盛大に単独演奏会をしたい」と漠然と考えてはいたが、これまでのように運営を現役に任せてOBはステージで歌うだけの演奏会とは、勝手が違うことは明らかだ。

さらに、出演者は集まるのか?ステージ構成をどうするのか?指揮者はどうするのか?練習はどのように行うのか?予算はいくら必要なのか?

なにもかも計算できることはなかった。

創立50周年記念演奏会について、OBに向けて3度のアンケート調査を行った。組織化についても含めた最初のアンケート(2007.7.23、平成19年)では、単独演奏会は無理という意見もある中、賛成意見も多く集まり最終的に90人以上がステージに立ちたいという回答があった。

そして、2009年4月に実施した3回目のアンケートでは、各ステージ30人以上を確保できることを確認できた。

第48回定期演奏会(2009.1.17) 岡山市民会館

こうして、第48回定期演奏会(2010.1.17、平成21年)開演前の総会で計4ステージの概要が発表された。

  • 男声合唱組曲「朔太郎の四つの詩」 指揮武内成禮(初代指揮者)
  • 50周年委嘱作品 指揮上月明(10期指揮者)
  • 男声合唱組曲「富士山」 指揮西山隆幸(40期指揮者)
  • カルテットステージ

ロータス史上初のOB単独演奏会は、OB3ステージ+カルテットステージで構成し、現役単独ステージはなく、現役はOBに混ざって歌う形になった。

予算については、ステージ以上に想定できない状態が続いていた。実際、何人がステージに上がるのかはっきりと分からないため、チケットノルマも決まらない。そのうえ、委嘱作品の依頼費がいくらになるかも分からない状態だった。寄付を広く集めることになったが、寄付がどの程度集まるのかすらまったく想定できなかった。

そうした中で、「金はなんとかなるし、なんとかする!」という重鎮たちの意見があり、とにかく走り始めた。

その後、演奏会に向けて練習が始まるころになると多くのOBから多額の寄付が集まった。こうして、資金面では大きな問題もなく演奏会に向けて進んでいくことになる。

第1回練習(2009.5.30) 練習前の10期指揮者上月の挨拶

第1回練習(2009.5.30 14:00-17:00)男声合唱組曲「富士山」(創立50周年記念演奏会に向けて最初の練習) 

第1回練習(2009.5.30 18:00-21:00) 男声合唱組曲「朔太郎の四つの詩」 

2009年5月30日(平成21年、49期)に第1回目の練習が行われた。本番は、1年以上先の2010年7月3日である。OBは、3ステージを持つため月に1回の練習を3時間×2コマ構成で行うことになった。合計17日の練習日を計画した。

なお、広島、東京、大阪、福岡などで地方練習をする案も出ていたが、実現することはなかった。

※2009年 新型インフルエンザの世界的大流行、岡山市政令指定都市化、ファジアーノ岡山Jリーグ加盟

観客動員

先が見えないことだらけで、観客もどれだけ入ってくれるのかまったくの未知数だった。OBは観客動員面でも相当頑張った。これまでOBステージがある記念定期演奏会のチケットを配ることがあったが、今回はOB会の主催である。自分たちでやるしかないのだ。動員とりまとめ担当のOB22期三宅は、OBに向けて、何度も発破をかけていた。

そうしたなか、創立50周年記念演奏会(2010.7.3)に向けて、1か月前の6月6日に開催される合唱フェスティバルに出演することになった。演奏会の宣伝効果が高く、チケットの販売もできそうなことから急遽参加を決定したのだ。シンフォニーホールで歌う機会となるため、練習効果が高いことも見込んだ。合唱連盟への加盟は1年限りで、OB単独として最初で最後の合唱フェスティバルへの参加になった。

そして、合唱フェスティバルを終え、三宅が動員数を概算したところ、岡山シンフォニーホールの定員2,001人を超えるかもしれないレベルまで達していた。驚くべきことに、これ以上「チケットを配るな」指令が出た。現役時代から、チケットを配れりまくれと常々言われてきたロータスメンが、「チケットを配るな」と言われたのだ。こんなことは、ロータスメンにとって初めてのことだった。

50周年記念委嘱作品

男声合唱とピアノのための「五つのモノローグ」 左は出版楽譜、右は練習用楽譜(「5つのモノローグ」だった)

「ロータスはこれまで男声合唱界に世話になってきた。50周年を記念して男声合唱組曲を男声合唱界に恩返ししたい。そして、日本中の男たちに末永く歌い続けられていく名曲を残したい。」と10期指揮者上月(現OB会長)の言葉から始まった。

ロータス50周年記念委嘱作品は、人気作曲家である信長貴富先生に依頼することに決まった。

委嘱にあたり、

  • 優しく歌いやすく歌い継がれていく作品
  • ピアノ伴奏付きの日本語曲
  • ロータスの創立50周年を記念する作品

という条件でお願いし、詩の選択も含めて依頼することになった。

新生OB会発足直後の2008年8月(平成20年、48期)、信長貴富先生にお会いして、大島会長(当時)と10期上月から作曲を依頼した。信長先生は快くお引き受けいただいた。

当時、ロータスの常任指揮者だった上月は、この委嘱作品を、創立50周年記念演奏会(2010.7.4)で現役とOBの合同ステージで演奏すること、さらに第50回記念定期演奏会(2011.1.8)の現役単独ステージでも演奏する計画とした。

2009年5月30日(平成21年、49期)から、50周年記念演奏会に向けて練習が始まった。練習開始直後は、「モノローグ」の作曲が進んでいなかったこともあり、「朔太郎」と「富士山」の練習だけだったが、4回目の練習(2009.8.22)が「モノローグ」の最初の練習日となった。

第4回練習(2009.10.24 14:00-17:00) 男声合唱とピアノのための「五つのモノローグ」 (最初の練習、パートごとに音取り)

この日、楽しみにしていた楽譜は、「男の唄」のただ1曲だけだった。この日は、「男の唄」の音取りだけで終わった。その後、2回の練習も作曲が完了しておらず、「男の唄」だけの練習となった。

不安にかられたロータスメンだったが、その後の練習で3曲の楽譜が配られた。「男の地図」、「女に」、「父の唄」だった。特に「父の唄」は、その曲調や詩にロータスメンは感動した。素晴らしい組曲だと思った。当初の作品タイトルは、男声合唱とピアノのための『4つのモノローグ』(仮称)だったのだが、もう1曲が追加されることになり、追加される1曲がまだ完成していないという。どんな曲なのだろうか?

そして、2009年11月28日(平成21年、59期)の強化練習で最後の曲「頼み」を追加した組曲の楽譜が配られた。なんだこの曲は!衝撃だった。全5曲合わせて50ページの楽譜なのだが、この曲だけでなんと22ページを占めている。ほかの4曲とまったく曲調が違い早いテンポで掛け合いが続く。難解な詩が続き「裏返せ 俺を裏返せ」の言葉は脳裏に刻みつけられる。そして、エンディングに向けてひたすら突っ走り燃えあがるような心の叫びを歌う曲だった。指揮者の上月も残りの練習回数を考えると、最後の最後にもたらされたこの大曲に困惑を隠せなかった。

しかし、もはや練習をするしか道はない。ロータスメンに後退はない。前に進むだけだった。

 今回は現役大学生との合同演奏とのことで、詩の選択にあたっては、幅広い世代によって歌われるに相応しい内容であることをまず考えました。しかも男声合唱であることの必然、男の声によってしか表現できない内容を求めた結果、谷川俊太郎の比較的初期の詩集(『あなたに』と『うつむく青年』)に所収さ
れている5つの詩に行き着きました。

それぞれの詩が歌う内容は、男の欲望であったり、孤独であったり、父親としての言葉であったり、さまざまです。1本の木が地下深くまで根を張り巡らしているように、社会の中で、あるいは家庭の中で顕在する「男というもの」の地下には、女には想像も及ばない根が夥しく複雑に絡み合っており、谷川俊太郎の詩はその潜在する根を私たちに見せてくれているように思います。5つの詩から1個の男の姿を浮かび上がらせてみたいと思い、構想を練りました。

信長貴富先生の寄稿文(創立50周年記念演奏会パンフレット)

創立50周年記念演奏会

2010年7月3日(平成22年、50期)、朝から大雨警報が出るほどの雨が降った。正直、ホッとした。「チケットを配るな」指令が気になっていたからだ。お客さんが溢れるとステージで歌っている場合ではなくなるからだ。演奏会当日に雨が降ってホッとしたことも初めての経験だった。

創立50周年記念演奏会は、雨とはいえ1,500人を超えるお客様を迎えることができ素晴らしい演奏会となった。

第1ステージ 男声合唱組曲「富士山」

40期指揮者西山(のちの現役の常任指揮者)により、エールに続いてOBアンケートで希望が多かった多田武彦作品の男声合唱組曲「富士山」を演奏した。「富士山」は、ロータスがこれまで数多く演奏してきたいわくつきの曲であるが、なんとか最後まで歌いきった。

第2ステージ 「Four Frogs & T.Hiramatsu Trio on Stage」

Top Tenor 11期藤岡、Second Tenor 7期三原、Baritone 8期東、Bass 8期難波 によるカルテットステージ。バンドは平松トリオ。

このステージの司会はシンガポールからはるばる練習に通った6期橋口が務め、岡山弁を駆使した語りは笑いも呼び楽しいステージとなった。これまでの演奏会にない趣向を変えたカルテットステージはとても好評だった。

第3ステージ 男声合唱とピアノのための「5つのモノローグ」(創立50周年記念委嘱作品)OB・現役合同ステージ

現役の常任指揮者(当時)も務める10期指揮者上月によりOB会初の委嘱作品を歌い上げた。現役は、すべてのステージに立っていたが、このステージは特に多くの現役が立った(現役は第3ステージのみジャケットで立った)。演奏後は、信長貴富先生をステージ上にお呼びしお言葉ををいただいた。

第4ステージ 男声合唱組曲「朔太郎の四つの詩」

記念演奏会の最後を飾る最後のステージ。終わってみれば、すばらしい選曲だった。気持ちのこもったいい演奏ができた。50周年の最後を飾るにふさわしい演奏だった。

アンコール 「コール・ロータスの歌」、「The Last Words of David」

定期演奏会でのアンコールの定番となっている「コール・ロータスの歌」は、第8回定期演奏会のときに誕生したものだ。残念ながら、「ロータスの歌」はロータスの重鎮たちにとって思い入れがなく、アンコールで演奏することすら危ぶまれた。しかし、役員会で議論を経て最後の曲でないにしてもアンコールで演奏することになった。新生OB会となってロータスOBも変わったのだ。定期演奏会をロータスの歌で締めくくることが当然だったロータスメンにとって、OBステージで「ロータスの歌」を歌ったことは、歴史的事件だった。

なお、レセプションでは「『コール・ロータスの歌』は素晴らし曲で格好いい」と信長貴富先生から褒めていただいた。

ロータス物語 第3回「ロータスの歌」
(前回のあらすじ)挫折したロータスは、石丸寛先生を第7回定期演奏会(1968.2.3)の客演指揮者に迎えて新たな一歩を踏み出した。初の委嘱作品1967年(第7期)に新たな一歩を踏み出したロータスであるが、やはり次の年(1968年、第8期)に...

※2010年 小惑星探査機「はやぶさ」地球に帰還、高速道路一部無料化、ノートルダム清心女子大学学寮廃止

コール・ロータス50年史

当初、50年史の編纂作業は、2008年(平成20年、48期)の新生OB会発足直後から31期山下が担当して他の事業と並行して進めており、過去の定期演奏会などのパンフレットや写真などを収集してディジタル化を進めていた。当初から、投稿を募集したこともあり、それらを収集するも編集作業まで追いついていなかった。

すでに、OB組織化委員会で50年史の編纂計画が立ち上がってから10年以上が経過していたが、50年史は一向に完成していなかった。その間、新生ロータスOB会は、発足直後から勢いに乗り、創立50周年記念演奏会(2010.7.4)をピークに第55回記念定期演奏会(2016.1.16)まで結成後8年間で8度のステージに立っていた。

2016年(平成28年)、第55回記念定期演奏会が終わり、担当を37期部長坪井に変更してから大きく前進する。揃っていた資料を印刷会社に取りまとめてもらいつつ、8期難波OB会長(当時)と2人体制で印刷会社に月に1,2度出向いて編纂作業を進めた。

岡山大学男声合唱団コール・ロータス 創立50周年記念誌

2018年(平成30年、58期)1月27日にようやく「コール・ロータス50年史」が完成する。タイトルは「創立50周年記念誌」となっているが、1961年(昭和36年、1期)~2016年(平成28年、56期)までの記録をまとめたものとなった。

途中で、編纂方針が変更したこともあり、載せることができなかった文章もあった。また、まだお返しできていない資料もあります。この場を借りてお詫びいたします。

※2016年 熊本地震、SMAP解散騒動、18歳選挙権施行、「君の名は。」大ヒット

※2018年 米朝史上初の首脳会談、西日本豪雨、日産ゴーン会長逮捕

ディジタル化

新生OB会発足後の2008年(平成20年、48期)、創部以来のいにしえの演奏を残そうと、ディジタル化プロジェクトが始まり、22期竹田が担当した。

創部以来、演奏は、オープンテープに録音されてきたが、1993年(平成5年)の第32回定期演奏からはDAT(Digital Audio Tape)になり、2001年(平成13年)の第40回記念定期演奏会からMD(mini DISC)になるなど録音媒体は時代とともに変化していた。

プロジェクトが開始された2008年(平成20年、48期)、音楽は半導体メモリーに”録音”する時代になり始めていた。オープンテープデッキやDATデッキの新製品は市場になく、MDデッキすら消え去ろうとしていた。ロータスの過去の演奏を聴くことができなくなる日が、目の前に迫っていたのだ。

1983年(昭和58年)に21期の卒業時に寄贈したオープンテープデッキ

竹田が、音源の確保に走った。現役の練習日にBOXに出向いて、定期演奏会とジョイントコンサートの音源を借り受けた。30cmサイズの10号リールオープンテープの箱を見て「それ、レコードですか?」と現役部員の一人は言った。そう、彼らはオープンテープを再生したことがなかったのだ。1983年(昭和58年)に21期の卒業時に寄贈したオープンテープデッキは故障して久しく、BOXの”オブジェ”と化していたのだ。

再生装置であるデッキの確保が課題であった。中古デッキは、アンティークの世界に踏み込んだような高額である。なんとか、オープンデッキを修理できる工場を探し求めてオブジェと化していたBOXのデッキを持ち込んで修理することができた。

DATデッキは購入はおろか、修理もできなかったが、かろうじてメディア変換サービスを利用することができた。MDデッキはかろうじて購入することができた。

こうして、ようやく音源のディジタル化の作業に入ることができた。DATとMDは、既にディジタルデータとして音が記録されているので、データをコピーするだけの簡単な作業であった。

しかし、オープンテープはアナログ信号で記録されている。単純な作業では済まなかった。再生するときのテープの走行速度が録音した時と違うと、元の演奏の音程と変わってしまう。テープデッキの速度誤差は ±5%もある。再生音源は、元の演奏とずれているのが標準状態だった。テープの速度を調整しながらの再生が必要だった。キーボードの音を頼りにテープの走行速度を調整して、元の演奏の音程を再現してから、ディジタル(データ)化に取りかかるのである。また、劣化したテープは再生中に切れることがある。特殊な薄い粘着テープで繋ぎ合わせて、曲の初めからデジタル化をやり直す必要があった。

これらの作業は、非常に手間が掛かることが理解できると思う。こうして、定期演奏会の音源のディジタル化が少しずつであるが、進んでいった。現在、ほぼすべての定期演奏会の音源のディジタル化が完了している。

現在、ディジタル化した音源は、12期阪内によってYouTubeへの公開が進められており、1970年(昭和45年、10期)までの定期演奏会と過去のOBステージを中心に公開が完了している。ディジタル化と公開は別事業であるが、公開についても現在進行中の事業として進められている。

 

第16回「変化」に続く

ロータス物語 第16回「変化」
(前回のあらすじ)2008年に新生OB会が発足した。新生OB会は、初のOB会主催である創立50周年記念演奏会に向けてひた走る。創立50周年記念演奏会は、2010年7月3日に信長貴富先生に委嘱した「五つのモノローグ」をはじめ計4つのステージを...
ロータス物語 ~ロータス60年+αのあゆみ~
岡山大学男声合唱団コール・ロータスは、2024年に創立64年目を迎えました。コール・ロータスは、1961年4月17日に岡山大学で設立された男声合唱団です。創立当初は岡山大学鹿田キャンパス内の医学部生のみで活動していましたが、その後全学部に解...