(前回のあらすじ)1991年(平成3年)のロータスは、週休2日制の導入、正指揮者の休部、合唱フェスティバルの日程変更、ジョイントコンサートの縮小、定期演奏会の金曜開催など大小さまざまな波が襲う。しかし、第31回定期演奏会は市民文化ホールを満席にして立ち見客を出し、久しぶりに部員50人の大台に乗った。
謳歌
結成から栄光、そして挫折や復活と、荒波に揉まれてきたロータス創世期に比べれば、34期部長中西が在籍した1992~1997年(平成4~9年、32~37期)は比較的穏やかで平和な時代であった。部員は50人以上を常に確保できていたし、存続を揺るがすような大事件はなかった。
BOX(部室)に行けば誰かが居て、練習に精を出して演奏会を迎えられる。それが当たり前だったことに在籍していた当時は気づかなかったが、今振り返れば幸せだった。
しかし、それは平々凡々とした毎日であったかというと決してそうではない。特に33期はその後の歴史…というと大げさかもしれないが、その後に恒例となった新たなイベントを多く生み出した意欲的な年だった。
33期部長の齊藤は、同期から「デブ長」とよばれるいじられキャラで、威厳やリーダーシップで先頭に立つタイプではなかったが、その独創性と行動力は随一で、とにかく今までやってこなかったことをやりたがった。
新歓の成功
第33期新歓コンパ(1993.4.17)
1993年(平成5年、33期)の新歓活動は大成功を収め、1年生だけで30人を数えた。1年生は当然先輩のオゴリ。先輩たちの財布はうれしい悲鳴を上げていた。この年のロータスは、春から勢いがあり、1年生は数を減らすことなくそのまま定演に立った。
OSCA運動会
第1回OSCA運動会(1993.5.30) ノートルダム清心女子大学 一宮体育館
1993年5月30日(平成5年、33期)、齊藤の悲願が実現する。その名も『OSCA運動会』。岡山大学グリークラブ(混声)、ノートルダム清心女子大学グリークラブ、中国短期大学フラウェンコール、就実大学・短期大学グリークラブ(当時女声)、岡山理科大学クリスタルコール、そしてわれらがロータスの岡山県学生合唱連盟(OSCA)が勢ぞろいした大演奏会…ならぬ大運動会である。
「なぜ合唱団が集まって運動会?」ロータス以外の各団員はみな一堂に首をかしげただろう。いや、ロータスメンの中にあっても部長以外は首をかしげていたに違いない。おおよそ荒唐無稽なこのイベントが成立したのはひとえに33期渉外マネージャー藤崎のコミュ力の賜物であった。
「健全なる歌声は、健全なる肉体に宿る」とでも言わんばかりに、その日は団体の垣根を越えて汗を流し、素晴らしい交流の機会となった。その後もOSCA運動会は雨天中止などがありつつも2010年(平成22年、50期)まで続き、その後はボーリング大会に形を変えて2016年(平成28年、56期)まで開催されている。
第2回OSCA運動会(1995.6.25) 岡山大学法文グラウンド(第35回記念定期演奏会パンフレットから)
おく路オータムコンサート
第1回おく路オータムコンサート(1993.11.26) 邑久町立中央公民館ホール
1993年(平成5年)11月26日、ロータスの歌声が邑久町の夜に響き渡った。竹久夢二の故郷で知られ、現在は瀬戸内市となっている岡山の町。『おく路オータムコンサート』と名づけられたこの演奏会は、多田電機株式会社様からの依頼により、邑久町立中央公民館で開催された。この演奏会は、多田電機株式会社様の工場創立30周年を記念して開かれたもので地元のママさんコーラス2団と共に出演した。
ロータスのステージは、この演奏会のメインに位置づけられており、この日のために編曲して練習した竹久夢二作詞の「宵待草」など計20曲を歌い上げた。お客様と一体となってステージを楽しんでもらうため、クイズコーナーや当日誕生日の子どものためにHappy Birthdayを歌うなど、とても楽しいステージとなった。
この演奏会は、とても評判が良かったため、早くも翌年に第2回おく路オータムコンサートが開催されロータスも招待されている。
クリスマスキャロル
街頭クリスマスキャロル(1994.12.15) (第34回定期演奏会パンフレットから)
ロータスメンが街頭に立ち、岡山駅前や表町でクリスマスソングを勝手に歌うイベント。その後恒例となった街頭クリスマスキャロルもこの年が第1回目だった。
数十名の男たちがぞろぞろと歩き、整列したかと思うと突然大声で歌いだす。街はクリスマスセール一色なので、どこかのお店のイベントなのかとお客様も集まってくる。定期演奏会の宣伝が前提の活動であるが、自らも楽しむイベントだった。1年生たちもどこであろうと歌える度胸がこのイベントでついたのかもしれない。
また、どうでもいい伝統が多いロータスであるが、クリスマスキャロルでは部長がサンタに扮するという新たな伝統も生まれた。
※1993年 山陽自動車道岡山県内全通、岡山県立大学開学、Jリーグ開幕、細川内閣発足(55年体制崩壊)、冷夏(平成の米騒動)
第33回定期演奏会
第33回定期演奏会(1994.1.22) 第2ステージ「西部劇 ”BILLIE THE HERO”」 岡山市民会館
副指揮者ステージは、ロータスにとって第21回定期演奏会(1982.1.16)以来12年ぶりに行われた大々的な企画ステージ「西部劇 ”BILLIE THE HERO” ビリー・ザ・ヒーロー」だった。34期中西の脚本による完全オリジナルのミュージカル風演劇ステージで33期北林が総監督としてまとめた。曲の間に選ばれた演者による小芝居が挟まり、その後ろで演者以外のロータスメンがBGMを奏でる。
これも部長の斎藤が「定演でジーザス・クライスト・スーパースターをやりたい」と言い出したのがきっかけだった。無茶振りで脚本を頼まれた中西が、演劇部ではないロータスメンの芝居でも成立するように歌と笑いを交えたステージに仕上げた。「イメージしてたものと違う」と初稿を見た齊藤は不満だったが、その後主役のビリー役に選ばれたためノリノリで演じきった。
コメディに仕立てたことで当日の会場は大ウケだったが、レセプションで大島OB会長からは「ロータスはあんなお遊戯をやっちゃいかん」とお叱りを受けた。ただ、「あんなこと言ってたけど実際は楽しそうに観てましたよ」とその後大島会長の周りで聴いていた他のOBからのフォローをいただけてホッとしたことを中西は覚えている。
この年以降、定期演奏会の副指揮者ステージで企画ステージを行うことが恒例となっていく。
第33回定期演奏会(1994.1.22) 第4ステージ 男声合唱組曲「草野心平の詩から」 岡山市民会館
1993年(平成5年、33期)は、4年生以上20人、3年生10人、2年生12人、1年生29人の計71人の部員が在籍している。技術的には粗さが目立つものの、男声合唱にとって数は力でもあると感じられる演奏だった。
この年は、指揮者玉井の素晴らしいカリスマとリーダーシップでまとまっていたため、当時は齊藤部長の功績はそれほどクローズアップされることがなかったように思うが、我々がロータスで青春を謳歌できた裏には齋藤部長のような隠れた功労者の存在があったことをここに記しておきたい。この年、1年生がたくさん入団し、その後定演まで居続けているうちに男声合唱の魅力に染まっていったのは、やはりロータスが楽しかったからに違いないのだから!(34期中西)
※1994年 岡山大学教養部廃止、松本サリン事件、プレイステーション発売
第13回「情報」に続く